雪歩のTODAY with ME良いよねって

この記事ももう一年以上経つのか。


卒業しました。
色んな人にさんざん迷惑かけて、
長いことお世話になりました。
とてもとても長かったです。少し疲れました。
結果としては、途中で投げ出して辞めないで本当に良かったです。疲れたけど。
周囲の方々の協力がなければここまで来れなかったと思います。

卒業式なんて高校以来(だれでもそうでしょうが)で、
高校の卒業式の記憶もあんまりないです。
式に出るための袴選びも全然乗り気じゃなくて、(成人の振り袖の時もそうでした)
とりあえず写真写りが良さそうなブナンなものを選んで…と、最後まで消極的でした。
「スーツの方が(少ないから)かえって浮くよ」と複数人に説得される始末。
が、当日着付けを終えて髪の毛をセットしてもらって式場へ行ってみると、続々とやってきた卒業生のみんな、とても華やかで、一人ずつ壇上にのぼって学長から直接学位記を受け取って……ああ一生に一度くらいはこういう式もいいかな、良かったなというのが正直な感想です。

3という数字はひとつの区切りだと、いつも思います。
まず3日、まず3週間、3ヶ月、3年…。
実習に躓いて落ち込んで、毎日心の底から死にたい、死ぬしか無いと思いつめて調子を崩したのが3年前です。
家の中もゴタゴタしていました。体重も随分と減りました。(後に戻ってしまいましたが)
とある怪我で強制的に実習が中止になったのがきっかけで、一気に学校へ行く気力がなくなり、
そのままずるずると休学になりました。
今も続くしつこい頭痛ともう一つの不調に悩むようになったのもこの頃。

休学するしないの騒ぎの際、私は親に「退学したい」と言って聞きませんでした。
看護師の親が怖くて苦手でした。親以外の看護師さんも一時的に怖くなりました。
そういう世界だとわかっていて、この道を半ば強制的に勧めてきた親に怯えながら、
もういやだ、ここまでして取りたい資格とも思わない、と、腹を立てていました。
(心境が変わった今はもうこの気持ちはほとんど残っていません。苦手だけど自分がやりたくてやっています)
その様子を見かねた教学課の事務員の方が、「この不景気に、もったいない」というようなことをおっしゃって、結構長いこと説得してくださったのを覚えています。
良い歳して親に反抗していた(今もですが)私ですが、家族以外の人には耳を傾けるだけの理性が幸いにも残っていたらしく、退学届と休学届の両方をもらって帰宅し、後日休学届を提出しました。
私はもちろんですが、母もその事務員さんに感謝しているそうです。

一年休むと人間不思議なもので、詳細は省きますが途中の体験もあってか
悩みつつも「やっぱり戻ろうかなぁ」くらいには思うようになりました。
復学は思っていたよりも簡単に進みました。
手続きが簡素な一方不安は募るばかりでした。
友人たちはとっくに卒業している。先生も、結構入れ替わってる。
座学の単位をほぼ取り終えてからの休学だったので、大学の感覚を取り戻すまもなくあの実習が待ち受けていたのです。
日中はあらゆる人に対して怯え、患者さんに申し訳なくなり落ち着ける居場所もなく、夜は記録で眠れないあの期間です。
半ばトラウマのようになっており、当初は病棟へ2日も通うことができませんでした。
なんでここまで怖いのか今でもわかりませんが、実習アレルギーに拍車をかけたのが、
休学で一年空白があったことによる学力の低下でした。
要領をまるっきり覚えていないわけではないけど、もともと動けないのが更に動けなくなりました。
記録も、「ああ、そういえばこんな様式だったけど…あれ?どうするんだっけ?」と、以前できていたことも、
嘘みたいにできなくなりました。こうなると休学前の状態に逆戻りです。
実習の先生(仮にA先生とします)もさすがにまずいと判断されたのか、丁寧な個別指導が入りました。
「俺は特別手当を貰いたいくらいだ」とおっしゃってましたが、本当にありがたい措置でした。
実習をまた一旦中止した上で私に課題を出し、記録の書き方等を指導して頂きました。
提出した課題を読むなり先生からの「なんやまだマシやないか、やれるやれる」とのお言葉。
更に、次の週からの実習の担当が、休学前からお世話になったことのある先生(B先生/仮)で、
「あんた前はできてたやん」と、言われ、たたみかけてA先生から「普通ならもう君は成人だからここまで面倒みないけど、自分たち(教員)は看護職だから学生も一人の人間として見たい」と熱く語られて、情けないのと、ありがたい気持ちで涙が出ました。
実際にはもっとめちゃくちゃでしたが、成人看護の残りは主にこのお二方に支えて頂いて乗り越えることができました。
(当時の実習グループメンバーも好きでした)

失敗も成功も両方あり、復学して一年目の前期は終わり。
夏~後期頃からは、今度は家庭がまたドタバタして調子を崩しました。
次の実習も控えて逃げるわけにもいかず、にっちもさっちもいかない心境。苦痛でした。
とにかく少しでも楽になりたい一心で、何か解決策はないかと混乱しながら足りない頭を巡らせて、
恐る恐るSOSのメールをC先生(仮)にしたためたのがもう一つの始まりだと思います。
もともとは上記の先生ほど接点のないかたでした。
どちらかと言うと、講義中騒いでる学生に対してバッサリと、静かに言葉をかけるタイプの先生です。
私は講義中に騒ぐようなことはしていなかったので、「オオ…はっきりものを言うかたなんだなぁ…」という認識でいました。学生の発表に対しても一貫した態度をとっておられました。
学生の良い部分はそのまま良いと言い、できてないところはそのまま「これは違うよね」と。いつも同じ口調で。
必要なことのみを、相手に合わせて感情的にならずわかりやすく伝えてくださるのです。
C先生の専門分野も含めて、この人に聞いて欲しい、なにか教えて欲しい…と思ったことを正直に伝えました。
一応、大学の支援制度としてこうしてメールで予約をとって相談できることは知っていたものの、
初めてこのような形でメールを送ったので必死ながらも不安だらけでした。
スケジュールを考えると、(相手が)忙しいのは明らか。
にもかかわらず、返信は早朝に届いていました。穏やかな優しい文面でした。
その時から今までずっと感謝しっぱなしです。
それからは時々面談や、実習の区切りの日や大学ですれ違う時などに近況を報告したりと
最後まで主に精神面を助けてもらいました。
国試直前にはいつの間にか下の名前で呼んでもらえるようになっていました…。(´;ω;`)

卒業式の朝、C先生は「(実習を)休んでもいいのよと言いたいけれども、言えなかったから…」とおっしゃっていて、改めて私はこの人達の支援がなければこの式に辿りつけなかったんだなぁと思い知りました。
卒業できたのが一番喜ばしい事ですが、同時にもうお別れなんだと思うと寂しくなります。
これまで本当にありがとうございました。

□■□

C先生からかけて頂いた言葉には忘れられないものがいくつもあります。
「大きな問題が、一つずつ順番に来るならまだしも、いっぺんに来ると崩れちゃうのよね」とか
「体調が悪いときに何とかしようとしない」とか
「波があるから…」とか
文字ではうまく表現できませんが、一度昔の調子を崩した人間にはそれ相応の暮らし方があるよ、というニュアンスで伝えてくださったのかもしれません。

ただやみくもに一般論や正論を振りかざすのではなく、こういう言葉を相手に合わせて選んでかけるのは、
単に知識があるだけではなくて、思いやりと自身の経験がないと出来ないことだよなぁ…といつも思います。
忘れないようにしたいものです。

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Private :

卒業おめでとうございます!
怒涛の数年間でしたね。色々思うところもあり、うるっときました。
いつかにくやき奢ってあげますからね。・°°・(>_<)・°°・。

コメントレス

>じ さん
ありがとうございます!
どっかで見た顔文字と頭文字ですね!
いつかおいしいお肉を食べさせて下さい。
胃腸の調子が戻るまでお待ちいただければと思います。
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おっふ

Author:おっふ
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アイマスとモンハン好き。
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